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日経新聞春秋より

金曜夜の就寝時から月曜朝まで、自宅のパソコンをネット接続から切り離したらどうなるだろう。米国の元新聞記者が、家族とともにそんな実験に挑んだ。電話での会話や執筆、テレビ視聴は可能だが、ネット検索やメールは使わない。

▼実験初日。ネット経由の映像や音楽などを欠いた我が家は、他人の家のようによそよそしかったと体験記「つながらない生活」に書く。見慣れた風景のはずなのに現実感は乏しく、部屋は静まりかえって感じられ、見るものには生気がない。思いついた疑問も天気予報もすぐには検索できず、ただ不自由を嘆いた。

▼数週間後、変化が訪れる。パソコンに「へばりついていた心」が引きはがされ、家族水入らずの時間がよみがえる。本に向かいじっくり物事を考える習慣が戻る。ネット不在の週末が楽しみになると同時にデジタル機器の有益さも改めて理解。ネットとは自分で適切な距離を取らなくてはいけないとの結論に至る。

▼交流サイト大手の上場計画が話題を集め、高機能携帯電話の使い過ぎで通信網がパンクする。ネット環境はもはや生活や仕事に不可欠だが、すべて便利過ぎるものには注意が要る。米国では右のような「ネット安息日」を設ける人が増えたと先月の本紙記事にある。これもネット先進国ならではの知恵か。

以上、本日の日経新聞より

ネットのない生活は、どれほどのインパクトを

現在の私たちにもたらすのだろうか。

情報革命により、一変してしまった私たちの生活。

日々進歩するクロック数に順応できているときはまだいいが、

それに対応できなくなったとき、私たちはどういう行動をとるのだろう。

週末だけの実験とあったが、

おそらくはこれが習慣化しているのではないかと思う。

かつて、ビルゲイツは毎年1週間以上にわたり

山篭りをして事業計画を含めた将来を予測すると言うことを

聞いたことがある。

そのときは、一切の情報から自分を隔離するために、

テレビも何もない山小屋にて過ごすのだと言う。

そういう環境下に身をおいて初めて見えてくるものが

あるのだろう。

思考を極めるときにはあらゆる情報が遮断されたほうがよいのかもしれない。

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