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善悪の判断

昨日は、ビックニュースが立て続けにおきた。

野村證券社員のインサイダー事件、

鹿児島でのタクシー運転手殺人事件、

光市 母子殺害事件の判決。

通常の判断ができる人間ならば、到底ありえない事件ばかりだ。

彼らはなぜ、ああいった行動をとってしまったのであろうか。

人間は、生まれたときは、判断基準を「快・不快」においている。

赤ちゃんは、おなかがすけば泣くし、

おしめがぬれて気持ち悪ければ、泣く。

快適であれば、満面の笑みを浮かべている。

次の段階では、

「損得」で行動を始める。

通常は小学校低学年で卒業であろうが、

それが今は大人の社会でも横行しているのである。

この判断基準では、損しないためには何でもやってよいという

乱暴な価値基準ができてしまう。

モラルが低下してしまっている社会であろう。

それが、昨日のニュースにもある事件で伺える。

タクシー事件や光市の事件は、それ以前の快不快のレベルでの

犯行である。

もはや人の判断ではなく、動物の行動である。

人間のレベルでいえば、

判断基準は、「善悪」になる。

いかに得することであっても、それが社会的に悪と

判断されるのであれば、やってはならない。

殺人事件などは、判断もなにもなく「悪いのである」

人を殺めると言う事は、悪いことである。理由などない。

私たちは、少なくとも判断基準を善悪にまで

もっていかなければならない。

最近起こっているさまざまな問題は、

判断を善悪のレベルで行っていれば、

たいていは解決できるように思うのである。

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